愛しきものへの鎮魂歌
- 2015/05/25(Mon) -



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犬が死ぬという事は、おそらく日常の些細なことでしょうに、
その喪失感に耐えられずに、時の過ぎ行く事さえも忘れ眠りについた私。

 私の元へ駆けてくる足音、抱きしめた時の肌のぬくもり、柔らかなモフモフ感とにおい。


吹雪の中、散歩のおねだりをされ連れ出した時の身を切る寒さ。

深夜に発作で起こされた時の切なさ・・・

急に具合が悪くなり病院に点滴をしてもらいに車を飛ばしたり・・・


それさえも今は 恋しくて 懐かしくて・・・

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叶う事なら私はロビンとのあの忙しい生活に戻りたくてしようがないのです。

そしてこんな小さな思い出がとても辛く胸を刺す。


誰にとっても自分の犬は特別な存在。



 毎日キッチンに立つと、何かおやつがもらえると期待して後ろに必ずお座りで待機していたロビン。



ロビンは神経質なひょうきん者

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私はこの10年の彼の成長を見続け、賢くなるのを見てきた。

目の周りに白い物がまじり年老いていくのを見てきた。



残された日々はそんなに多くは無いと感じつつ 暮らしていた。


大好きだったお散歩も短くなり時々辛そうな素振り。

獣医師に辛そうなら散歩をやめるようにとも云われていた。

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あの朝、普通通りの時間に起床しいつもと変わらぬ量の朝ごはんは食べたものの、


食後のデザートもおやつも要求せず玄関のタイルに伏せ少し苦しげな呼吸をしていた。


けれどその頃のロビンには珍しい事ではなかったし、

出勤時間も迫っていたのでハウスに入れ、出勤した私。


帰宅後夕食を用意したけれど”ご飯はいりません”と完全拒否

それでもしっかり自分の足で立ち水だけは飲んでいた。
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慌てて車に載せ病院へ

車でたった5分のその間に血を吐き、便失禁をし車の中で倒れていたロビン。


抱きかかえて病院内を入ると獣医師が集中治療室へと運んでくれ

心電図モニターをつけ酸素吸入、点滴開始(Pm7:00)


程なく意識は戻ったのですが、起き上がる事さえ出来ず横たわったまま数時間。


その間、医師に最悪の場合は植物状態に、

上手く回復しても無酸素状態の時間があったので脳に障害、腎機能障害が残るかもしれないと

説明を受けた。


多分、安楽死も選択肢の一つと伝えたかったのかもしれないが・・・



溢れる涙を堪える事も出来ず・・・涙ながら私は医師に訴えた。



お留守番ばかりだったロビン

けれど・・・お留守番をさせる為に飼ったんじゃない事


そろそろ退職し、後はのんびり楽しみながら暮らす事を励みに頑張ってきたこと。


来年が無理ならせめて何とか10歳の誕生日を迎えさせてあげたい事



獣医師は、
”医師としては命ある限り治療をして上げたい思いではあるが

決定するのは飼い主である” と。


真っ白な頭で私が考え出した結論は

せめて今夜一晩ロビンに頑張って貰う事


私としては、この一晩で容態が好転しなければ

これ以上不要な痛みと苦しみをロビンに与えるよりは私の腕の中で

永久の眠りにつかせてあげたかった。

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深夜12時になり


もし容態が急変したら連絡を入れるので帰宅するように言われ帰宅


だが、家に着くなり携帯が鳴り


”急変しました” と


病院へ駆けつけると既にロビンは息絶えていました。


たった10分の間に・・・


こんな事なら早く決断して私の腕の中で・・・



多分、安楽死を選択しても、しなくても

後悔するのは同じなのだとは思うけれど


お留守番ばかりだったロビンをせめて最期だけは抱きしめて逝かせてあげたかった

という後悔の念に押し潰されそうな飼い主なのです。



私の悲しみだけが特別だというつもりはないけれど



人生の中でこの時ほど痛惜の念を感じたことはなかった。



人が日々の生活を送っているのを眺めている時、苦しみを覚えた。


お願い 時計を止めて。

ロビンが死んだんだから。



ロビンは永遠に続く財産を残してくれた。喜びの思い出とともに。


お手や、ごろり、握手、死んだまねなど教えるつもりはなかったし、


芸などと云われる事は何もしなかったけれど

彼の存在そのものが、私の生きがいだった。

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。

生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、

石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、

抱くことをやめるに時があり、探すに時があり、失うに時があり、

愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。

旧約聖書「伝道の書」第3章より

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追記

重苦しいお話ですので、興味のある方のみご覧下さい。


「安楽死」 飼い主にとってはとても抵抗感があり、辛い選択肢です。


でもペットにとって一番良いと思われる状況を判断できるのは飼い主をおいて他にありません。



 「ペットのため」と言うよりも、


「自分がペットの苦しむところを見たくないので早く楽にしたい」という気持と


かぶさってしまいそうで不安ですが・・・・


ペットとしての動物は飼い主に全面的に依存しています。


食物、水、寝床、暖、仲間、保護、愛、そして病気になったときのケア。


そして彼らの最後の日々は飼い主の精一杯の優しさと愛情が不可欠。



 血液検査技術の進歩により、


獣医は動物の残された時間をほぼ正確に推測することができると云われています。

自然にまかせるという選択肢もあり、安楽死という選択をしなくてもいいので罪の意識に苛まれる辛さからは

逃れられますが、でも動物にとって不必要な苦しみは何の得にもなりません。


自由意志を与えられ、苦しみが浄化の過程だと考えられたり、


天国での良い場所を約束する悔い改めの苦行とみなされたりする人間の場合と異なり

動物はいかなる状況に置かれても苦しみを良い事だとか、

望ましい事だと思うことは決してないのではないでしょうか。

ただ ただ苦しいのみ。


自然界では傷ついたリ病気になった動物はそんなに長く苦しむことはありません。


その前に他の動物に食べられてしまうから。



安楽死を「自分の決定がこの動物の命を絶つ」というネガティブなものではなく、


長引く無用な苦しみを愛する動物に味あわせてはならないという愛情の行為であると
とらえる事が出来たなら・・・ 


でも その決定をなかなか出来ない現実。


飼い主にとって苦しい選択である「安楽死」は、
 愛犬を苦しみや痛みから解放することができる救いとは知りつつも・・・



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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ゆっくりと悲しみから抜け出る道をみつけ、心の中の平安な場所に辿り着ける事を 

願いつつ・・・


        2015/5/25  マグダレーナ記
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コメント
-Re: 鍵コメさんへ-
おはようございます。

ご心配ばかりお掛けしてごんなさいね。
中々無気力状態から抜け出せず今日に至ってしまいました。

最近やっと後悔と呵責の念で押し潰されそうな日々から一歩先に進めたような感じです。
早く懐かしさと感謝の気持ちに変わってくれる事を願っています。

いつもいつも ありがとう!





2015/06/03 06:17  | URL | Magdalena #-[ 編集] |  ▲ top

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2015/06/02 21:03  | | #[ 編集] |  ▲ top

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2015/05/25 19:26  | | #[ 編集] |  ▲ top


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